その日はとてもよく晴れた日だった。
うんざりするぐらい、よく晴れた日だった。






また逢う日まで







「修兵、このCD……」
「いいぞ、持っていって」
「ほんとに?」



俺が頷くと、は嬉しそうにありがとーと言って鞄にCDを詰め込んだ。
玄関先には大きな茶色い鞄が一つ。




「荷物はそれだけか?」
「あとはみんな送っちゃったから」
「そっか」
「なーんにもなくなっちゃったね」
「ああ、お前が色々溜め込むから」
「女の子は何かと物がいるんだもん!」
「はいはい」
「ほんと、わたしの物ばっかりだったね」





苦笑しながらはくるりと部屋を見渡す。
の言う通りこの部屋は物がなくなりがらんとしていた。
洗面所にごちゃごちゃと置いてあった色とりどりの化粧品やら香水も、クローゼットにかかった華
やかな服も、靴箱に並べられた可愛らしく光る靴たちも、そこにあったのが嘘だったみたいにすっ
かりと姿を消していた。


あとに残されたのはコップに一つだけ入った歯ブラシ。
クリーニングに出したばかりのスーツ。くたびれた靴。
モノトーンの世界。


の色だとか香りや音。
今まで存在していたはずのこの部屋のの記憶がすっぽりと消え失せていた。
辛うじて玄関先にある鞄と、俺を見つめる視線だけがの存在をここにまだ留めていた。





「もう、行かなくちゃ」
「気を付けて、な」
「うん。……修兵」
「何だ?」

「あり、がと」




玄関の蛍光灯が弱弱しくの顔を照らす。





「今まで、ありがとうね」






の声がもう一度耳に届き、これで終わってしまうんだ、そう思った瞬間に俺の腕はを引き
寄せ強く抱きしめていた。

やめて修兵、そうは零したが俺は聞こえないふりをした。

俺はなんでこいつをずっと守れなかったんだろう。
久しぶりに抱きしめた身体は思ってた以上に華奢で、脆かった。


なんで俺たち。
永遠を誓ったはずだったのに、こんな結果になったんだろう。
抵抗をやめたの腕がゆっくりと俺の背中に回る。
震えるその腕を、どうして俺はずっと掴んでいてやれなかったんだろう。
あの日の誓いは嘘なんかじゃなかったのに。











修兵の腕はわたしが思っていたよりも逞しくて、苦しいくらいに心地よかった。


そうだ、わたしはこの腕の中にずっといたいとあれほど願っていた。
あれほど、あれほど願っていたのに。
抱きしめられながらも、揺らぎそうな決心をなんとか抑えた。
わたしたちはもう戻ってはいけないのだ。
わたしは決めたんだ。
香りも思い出も、心一つだってここには置いていかないと。
わたしは今日、この部屋を出て行くと。






「ちゃんと、ご飯食べるんだよ」
「ああ」
「睡眠もとって」
「わかってる」
「掃除も自分でするんだよ」
「するよ」
「ほんとにしなさいよ。すぐサボろうとするんだから…」
「うっせーなァ」







笑いながら、くしゃくしゃっと頭を撫でられる。
耳元に響く修兵の声は穏やかで暖かくて、泣き出しそうなほど優しかった。


もう行かなくちゃ、もう一度そう言って修兵の腕から抜け出す。
わたしたち、どこで間違えちゃったんだろうね。






「俺の方こそ、今までありがとな」
「うん、元気でね」
も元気でな」






鞄を持って玄関を出る。

かちゃんと閉まった扉。

見上げると、何も書かれていない表札。

それは昨日、二人の名前が書かれた紙をわたしが捨てたから。
きっと明日にでも修兵の名前が書かれた新しい表札になる。





全てが、終わってしまった気がした。





もうわたしがこの扉をくぐることはないだろう。

ばいばい、修兵。






別れる理由なんて探せば探すほどいっぱいあって
その代わり、やり直すきっかけだって探せば探すほどいっぱいあった。
それなのに二人、こういう結果になったのは簡単なこと。


ただ優しさを忘れていた。


目まぐるしく過ぎていく日常に翻弄されて、お互いに優しさを忘れていたのだ。
簡単なことだったのにな。
でも一番簡単なことが一番難しかったんだ。




修兵の声も温もりも匂いも笑顔もすべてその扉を隔てた向こう側に消えてった。

愛したものすべてを断ち切って彼もわたしも違う道を歩き出す。




今はわたしたち、前を向かなくちゃいけない。
また逢うその日まで。
しっかりと前を向いて歩かなくちゃいけない。


空はうんざりするほど晴れていた。


どうやら感傷に浸る暇はないらしい。
わたしは、前を向かなくちゃ。
































(紀世彦さん。20070811)

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