どうして俺は此処にいるんだ?
何が楽しくて俺はこんな話を聞かなきゃいけねえんだよ。
溶けてゆく
「ちょっと、しゅーへいさん!ちゃんと聞いてますかあー?」
「はいはい、聞いてる聞いてる」
ほんのり頬を赤く染めた目の前の酔っ払いを見て、溜め息を零してから、もうすっかり温くなって
しまった残りのビールを一気に飲み干した。
週末、仕事終わりの居酒屋は馬鹿みたいに熱気立っていて、隣のテーブルも奥の座敷も周りの声に
負けないように大声を張り上げている。
冷房が効いているというのに、客も店員もそしてもちろんあまり騒ぎ立ててはいない俺たちだって
薄っすらと汗を掻くぐらいだった。
「で、さっきの話に戻るんですけどー」
「あっ、すいません!生もう一つ!」
「ちょ、聞いてます!?」
「はいはい、聞いてる聞いてる」
今日何度目かの同じ台詞を吐きながら、呼び止められて注文を取りにきた店員に空になったジョッ
キと大皿を手渡した。
絶対聞いてないしと俺に聞こえるようにわざと零し、は3杯目のモスコミュールを口に含んだ。
俺がの話を本当に聞いているか否かと問われれば、半分イエスで半分ノーだ。
だってよ、惚れてる女の色恋沙汰の相談事に乗りたいなんて男が何処にいる?
ましてやこいつの相談っていやァ……、
「どうやったらあたし、モテますかね?」
「知らねーよ」
「もー!真剣に悩んでるんですから、真剣に答えて下さいよー」
こいつこんなに酒弱かったっけ?空きっ腹に一気に飲ませてしまった所為かはまだ3杯目なのに
相当いい感じに酔っていた。
真央霊術院時代の後輩で、いつも妹のように可愛がっていた彼女を恋愛対象として意識し始めたの
はいつ頃からだったろう。
正確な時期時間は忘れてしまったが、それからというもの俺の長い長い不毛な片思いが幕を開けた。
「そんなに欲しいのか?彼氏」
「欲しいです」
「誰でもいいのか?」
俺の想いを知ってか知らずか、は二人で飲みに行くと毎回必ず恋愛相談を持ちかけるのだ。
ちょくちょく俺の気持ちを小出しにしてきたつもりだったが、全然こいつは気が付かない。
本当に気付いていないのなら相当鈍いか、はたまた気付いているくせに上手くはぐらかしているのか。
どちらにしても面倒くさい女を好きになってしまったようだ。
「誰でもいいってわけじゃないんですけどね」
「どういうのがいいんだよ」
平常心を保って、思い切って初めて聞いてみる。
もし俺と全く違うタイプを言われてしまったら本気でヘコんでしまいそうだったから、今まで聞く
ことができなかった質問。
でもたぶんそろそろストレートにぶつかった方がいいのだろう。
は小皿に分けたサラダを頬張り、口いっぱいにもぐもぐとしながら斜め上を眺めて、うーんと
考え始めた。
その間に先ほどの店員が良く冷えた生ビールを持ってきて、俺はそれを受け取り、軽く一口口に含
んだ。
中々答えを提示しようとしないに痺れを切らし、俺みたいな男じゃねえのか?と冗談まじりで
尋ねると、あはは!そうですね、修兵さんみたいな格好良い男性だったら最高ですねー、と言って
はけらけらと笑った。
おい、その反応はどういう意味で取ればいいんだ?頭に浮かんだ疑問が間違えても口からぽろっと
出てしまわぬように、もう一度ビールを流し込んで無理やりにでも体の奥に押し込めた。
「何処に探しに行けば見つかるんですかねー」
「そういうのって、意外と身近にいるもんじゃねえのか?」
「身近?」
「そう、目の前に」
目の前に?とは俺の言葉を反復してグラスをくるくる回し、少し空ろな眼で中の氷を遊ばせ
ながら
「まさかー!だって今の所目の前には修兵さんしかいないんっすけどー」
と言ってまた笑った。
「そのまさかで、例えば俺とかさ」
グラスで遊び始めたを見ながら、俺は平然を装ってさらっと述べてみた。
に踊らされている氷は、カラコロと軽快な音色を立てながら透明な液体に溶け始め、交わる。
そして2テンポも3テンポも遅れて、のほんのり色づいていた耳がより一層色付き、真っ赤に
なって、がばっと俺の方に視線を向けた。やっと気付いてくれたのか?
「か、からかわないで下さいよ!!本気にしちゃうじゃないですかー!」
そう言ってはまだ半分以上中身が残っているグラスを両手で握り締め、上を向き勢いよく喉に
流し込んだ。
本気にしろよ、と心の中で呟いてから、一気飲みでむせこんでいるにおしぼりを渡し、俺は本
日二度目の大きなため息を吐いた。
(お前、ゆっくり飲めよ!)
(だって修兵さんが〜)
明日は休みだし、夜はまだ長い。
今度は俺の話でも聞いてもらおうか。
ある女の子に不毛な片思いをした可哀想で健気なある男の、長い長い物話。
(一気飲みは危険ですね 20070628)
photo by Rain Drop