言う、言わない、言う、言わない



手に持ったラインカーの車輪はからからと軽快な音をたてながら回り、あたしの決心もさっきから
同じ場所をくるくると廻る、まわる。

本来ならば一年の仕事である部活前のライン引きを二年のあたしが無理やり引き受けたのは、先生
に会いたくなかったから、ただそれだけ。今日会わなければ、言わなくて済むし。幸い、先生の授
業もなかったし。いや、幸いじゃない。もし先生の授業があればさりげなく言えたんだ、おめでと
うって。
担任でもなければ、顧問でもない坂田先生にどうやって伝えようか、(わざわざ職員室まで訪ねて
言いに行くなんて絶対変だし)そんなことをぐだぐだ考えているうちにもう面倒くさくなってあた
しは考えるのをやめた。

今日一日会わなければ言わなくて済む。(簡単に言えば、言いたくても言い出せない自分への言い
訳なのだけれど)




「なのに、」




何でいるのよ……。
ラインカーに石灰をたっぷり入れ、埃っぽい倉庫から外に出た途端に、普段は校庭にいるはずのな
い彼の姿が目に飛び込んできた。

ドキンと心臓が大きく鳴って、落ち着こうと深呼吸したあたしはまんまと石灰の粉の舞った空気を吸
い込んで、むせた。(はっきり言って、ツイてない)
ちょうど200Mトラックのゴール近くにあるベンチに腰掛けている先生はいつものように煙草を
咥えてぼけっとしているように見えた。




あともう少しで先生のところまで到達してしまう。

言う、言わない、言う、言わない




ゆっくり一歩一歩踏みしめながら呟く。
ラインカーからは一定量の白い粉ががらがらと出て、校庭にトラックの姿を形成してゆく。
あたしが悩めば悩むほど後ろに続く白い線はどんどん長くなってゆく。


茶色の砂の世界には、先生の白衣がよく映えた。

ふわふわのくせ毛は楽しそうに風に遊ばれているのに、空を眺める先生の瞳はなんだかつまらなそ
うだった。(たぶん死んだ魚のような目ってこんなのをいうんだと思う)別に大して優しくもなく
格好良くもない、あの独特な気だるい雰囲気に魅力を感じてしまうあたしはやはりどこか可笑しい
のだろうか。ほら、胸が少しずつ、少しずつざわついてきた。ああどうして。こんな人に恋をして
しまったのだろう。



言う、言わない、言う、言わない、言う、いう、いう……!




最後の三歩は大股で勢いよく大地を踏みしめた。急にベンチの方へ方向転換してしまったから、あ
たしの後ろに続く白い線は本来トラックの線を引くべき場所からおおきく外れた。

あーあ。後で間違えた線を消さなきゃな、なんて頭の片隅で思いながらあたしは先生の前に立った。




「せーんせっ!」










道をはずれた白線










「今日、誕生日らしいじゃん」
「あぁー。そうらしいな」
「おめでとう」
「おー」
「なにそれ?誕生日嬉しくないの?」
「お前がぜんぜん言いに来ないから先生スネてた」




先生の吐き出した煙草の煙がゆっくりと空に消えてゆく。目を覆いたくなるほどの鮮やかな青と儚
くおぼろげな白。先生は雲みたいだ、と思った。掴みたくてもすぐに消えてしまって。それでも、
いや、だからこそ。わたしの心をこんなにもかき乱すのだ。




「つーか、ちゃん。トラックの白線全然違う方向に」
「……」
「おい?聞いてる?」



「先生、」
「なんだよいきなり」



「好きになってもいいですか?」




先生を好きになるなんて、どうかしている。道を外れたあたしはいったいどこへ向かうのだろう。
だけど、決められたレーンを走らなくたって。遠回りしたって。いつの日か、先生まで手が届け
ば、いいと思う。

















(銀さんというか、杉田さん…誕生日おめでとうございます 20081011)