「まっ……」
待って。ベッドの上から、扉の前で揺れる長い髪を見た途端。
そう口から零れそうになった。
言えなかったことば
「何か言った?」
振り向いた顔は君じゃなくて
「……いや、何でもない」
体中になんとも言えない感情が一気に駆け巡った。
悲しみ、怒り、切なさ、寂しさ?
それらのどれにも当てはまりそうで、しかしどれにも当てはまらないような。
とにかく気分の悪い感情。
「また来るわね」
「ああ」
開かれた扉から薄暗い部屋にすっと光が流れ込み、パタンという音と共にまた闇がこの部屋を包みこ
んだ。
女の温もりがまだかすかに残ったベッドから体を起こし、髪をかき上げ煙草を手に取る。
「待って、か」
自嘲気味に微笑んで、煙を吐き出す。
待ってなんてどの口が言えたものだろうか。
君を泣かせて傷つけて壊したのは俺で。
別れを選択したのだってすべて自分だったはずなのに。
君との恋はゲームみたいにうまくはいかなくって
自分のテリトリーから一歩でも外に出ることを嫌う俺は、ついには彼女の手を掴むことが出来なかった。
追いかけて、名前を呼んで、抱き寄せることが出来なかった。
俺は自分から、今までの生き方を選んだのだ。
去り行くものは追わない。
流れ、流され、そこにあるものを受け入れる。
何かに固執するなんて面倒な生き方は性に合わない。
それなのにまだこんなにものことを考えてしまっている。
夢にまでみてしまっているなんて
他の女と見間違えるなんて
待ってと口から出そうになるなんて
「……終わってる」
カーテンを開けて外の世界を覗き込む。
夜の世界にギラギラと厭らしく光るイルミネーションの所為でここからは星も見えない。
今、君は何をしているのだろうか。
今、俺は後悔をしているのだろうか。
ただ判るのは、いつでも君のことを考えてしまうという現実と、
ただ思うのは、君の見る空には星が輝いていますようにと願う気持ち。
あの日、あの時、待ってと言えていたら今何か変わっていたのだろうか。
何が正しくて何が正しくなかったのかなんて結局は判らないのだ。
判っていることといえば、もう過去は取り戻せないということと、もう君に触れることも耳元で
と名前を呼ぶことも出来ないということ。
身勝手だとは判りつつも、まだ君を想ってしまう。
俺に出来ることはもう何一つないというのに。
「祈ることぐらいしか、出来ねえな」
どうか君の笑顔が星空の下で輝いていますようにと。
心の中で小さくそう呟いて、分厚いカーテンを閉めた。
俺はまた一人、暗闇に戻っていく。
それでいい。
それでいいんだ。
俺は今までもこれからも、そう生きていくことを決めたのだから。
(キザすぎた 070822)
photo by Rain Drop