ふわり、ふわり。
やわらかい風が吹いて、スカートのすそが少しだけ楽しげに舞った。
芝生の上に寝転がって空をながめると、まっしろな雲たちがゆっくりと流れていた。
太陽に向かって手を伸ばし、風の音に耳を傾ける。暖かい日差しがわたしを包み込む。
指折り数えてあんなにも待ち望んでいた春が、きた。
目を閉じて、今頃玄関の前でたくさんの子どもたちに囲まれているであろう彼の姿を想像する。
もしかしたら、その中にわたしの姿がなくて彼は心の中で少しむっとしているかもしれない。
ここの子どもたちにとって彼は少し特別な存在だから。ううん、違う。それだけじゃない。きっと彼は世
界にとっても特別な存在だから。もしかしたら皆にあたたかく迎えられて、わたしのことなんかすっかり
忘れてその状況を楽しんでいるかもしれないし、人と触れ合うのが少し苦手な人だから、その状況にすご
くとまどっているかもしれない。
でも、わたしにとって彼はべつに特別なんかじゃないから。負けず嫌いで、姿勢が悪くて、意地っ張りな
ただの一人の男の人でしかない。だから、わざわざ玄関でLの帰りをみんなと待ってあげたりなんかしな
い。特別扱いはしてあげない。
幼い頃は毎日あんなにも一緒にいたのに。隣にいたのに。大人になるにつれて、会える時間が少なくなっ
て。今回だって置いてけぼりにされて。だから、これはちょっとしたいじわるだ。
(いるはずのわたしがいなくて、ちょっとだけ落ち込めばいいんだ)
どうせすぐに、みなに挨拶をし終えたあと彼はわたしを探すだろう。
ここにいれば、きっと彼はわたしを見つけ出す。
そしたら、普通に接するの。べつに私はLがいてもいなくてもいつもと変わらないんですよって。
特別扱いはしてあげない。だってほら、わたしばっかりがLのこと想ってるだなんてフェアじゃないし、癪
じゃない?
そんなことを考えていたら、わたしの顔に影がかかった。やっぱりここにいたんですか、そんな声が聞こ
えてそっと目を開けると、親指の爪をかみながらわたしの顔を覗き込む黒髪の男の姿があった。
「あれーLだ。今日だったの?帰ってくる日」
「今日だと、連絡したはずなのですが」
白々しく、そうだったかしら?なんて答えると、Lは少しむくれた様子でわたしから視線をはずし、背中
を向けた。
上体を起こして、相変わらずに猫背な後姿に向かっておーいと呼びかけても何も反応がない。
「機嫌悪いのー?」
「悪くありませんよ」
「もしかしてわたしが出迎えにいなくて怒っていたりして」
「……別に」
前に会った時は一昨年の冬だったというのに、彼の格好も怒っている時の態度も何も変わっていなくて、
なんだかほっとして笑みがこぼれた。(背はすこし伸びたかもしれない)
「そっか、Lはわたしにはやく会いたくて会いたくて仕方がなかったのに、わたしがちゃんと待ってなか
ったからスネてるんだ。まだまだ子供ねー」
「そんなことありません」
「そう?」
「それはのほうなのではないですか?私に会えなくて寂しくてスネていた。だから出迎えに行かずに
こんなところで寝ていた。まだまだ子供ですね」
「うーん、それはどうでしょう。名探偵さん」
空を眺めながら、素直じゃないですね、なんて言うLに、それはこっちの台詞と言いながら苦笑する。久
しぶりのなんてことのないやりとり。それなのになぜこんなにも胸が詰まるのだろう。
どんなに憎まれ口をたたいたって、どんなに平常心を決め込んだって、結局はその声を聞
いて、その顔を見てしまったらこんなにも胸が熱くなるんだ。
こんなにも会いたかったんだ。こんなにもこんなにもあなたに触れたかったんだ。
ねえL、わたしがどれだけこの日を心待ちにしていたか知ってた?
勢いをつけて思いっきり立ち上がり、Lの背中に抱きつく。
「……?」
「える、」
「どうかしましたか?」
「寂しかったよ。寂しかったに、決まってるじゃない」
何度も夢に見た瞳が、背中が、声が、ここにある。
胸の奥がきゅっとなって、声がすこしだけ、ふるえた。
「L、おかえりなさい」
わたしがそう言うと、少し間をおいてから彼はとてもやさしい声でただいまと言った。
その声を聞いたら、なぜだかとっても泣きたくなって、ぎゅっとLのシャツに顔を埋めた。
ふわり、と風が舞う。
Lの背中は陽だまりのようにとても暖かくて、真っ白なLのシャツからは春の匂いがした。
(えるかえる。20080117)