手を離したのは、私で

押し潰されそうな気持ちに負けたのも、私だった。






通り雨









「明後日、イギリスを発ちます。」

「そう。」

の故郷の日本へ行きます。」

「……例の事件?」



そう尋ねると、彼は曖昧な笑顔を見せた。






久しぶりにワイミーズハウスに顔を出したL。

事件に区切りがつくと、彼は時々此処を訪れた。其れは、私に会いに来るため。

彼は直接的にそんなことは云わなかったけど、自惚れではないと確信していた。







「余所見していると、転びますよ。」






だいじょうぶー、と私は気のない返事をして、天を仰ぎ、Lの斜め前を歩く。
私達はいつも、Lが帰ってくると海岸沿いの此の道を二人で散歩する。
内容なんかすぐに忘れてしまいそうな、何てことはない他愛のない話ばかりをしながら。




その日の空は、雲行きが怪しかった。

髪を束ねてくるのを忘れてしまったので、潮の香りを含んだ風が時折私の髪をなびかせた。

空も、海も、私の心も騒ついていて、少し嫌な予感がした……。












「待っていてくれませんか。私が帰るまで。」


突然、彼はそう云った。


驚いて振り向くと、Lは道の真ん中に立ち止まり此方に真っ直ぐ視線を向けていた。






「…長引き、そうなの?」

「判りません。」



Lがそんなことを云うのは初めてだった。



「ワイミーズハウスで待っていて欲しいんです。」



嗚呼、やはり。


「一緒に、連れて行ってはくれないんでしょ?」



危惧していたことが、起きてしまった。



「……其れは、出来ません。」



「そう。」



Lの口から其の言葉が出ないように、私はあれ程気を付けていたのに。

何時かはこんな日が来ると思っていたけど…。




「必ず、の元へ帰ってきます。だから」


「ねぇ、雨降りそう、だね。」





私はLの言葉を遮って、空を指差した。

Lは何も云わずに、私を見つめていて、

私も何も云わずに、空を見上げていた。



どんよりとした鼠色の空だけが、機嫌悪そうにごろごろと唸っていた。





Lの方へと視線を戻すと、ぽつ、と冷たい雫が頬に当たった。



「あ、雨。」



「……。」



「……L?」



Lは何も云わない。




ぽつ、ぽつ。




「ちょっと、濡れちゃうよ!」

私は動かないLの腕を無理矢理掴み、目の先に雨宿り出来そうな場所を見つけたので、少し早足に歩き始めた。

乾いたアスファルトは、堕ちてゆく雨粒によって段々と濃い色に変わっていく。

Lを引っ張りながら走る私は、雨に追われている感覚に陥った。

もう後ろには戻れないように、雨は私達が進んだ道を暗く濃く濡らしていく。



待っていてくれ……、か。

Lの言葉が私の頭の中をぐるぐると回っていた。














「わー結構本格的に降ってきたね。」


辿り着いた場所は海岸沿いの道に建てられたおんぼろの貸し倉庫。

赤茶色のサビが目立つ屋根が、私達を雨から護ってくれた。




「ほら、ぼーっとしてるから結構濡れちゃったじゃない。」


ポケットからハンカチを取り出し、雨に濡れてしまったLの顔を拭おうとした瞬間、強い力でLに腕を掴まれた。




「どう、したの?」

、好きです。」

「うん。」

「だから待ってい。」

「ごめん。……できない。」




待つことは、

……私には、できない。





「そう、ですか。」

「……ごめんなさい。」





いいえ。短くそう云って、Lは静かに微笑んだ。


その顔を見たら、もうずっとずっと前から決心していたはずなのに。


胸が押しつぶされそうな程苦しくて、じわっと涙が溢れ出した。







「如何して、泣くんですか。」




困ったようにLは笑って、私の握っていたハンカチを取り、涙を拭いてくれたのだけど、私の涙は止め処もなく溢れていった。


ごめんね、L。

私がハウスにいることに理由があってはいけないんだ。

Lを待っているという理由が付随してはいけないの。




「でも、わ……たしもっ……。」




今まではLに会えなくて寂しくて辛くたって、誤魔化していたんだ。

私はLを待ってるために此処にいるんじゃないんだからって。




「……好き、だよ。」




だから、我慢出来たの。

だけど、待っていてなんて言われちゃったら。

待っているんだなんて思ってしまったら……。




「Lの…こと、好きだよ。」




待つのは辛いんだ。

貴方が帰ってくるのを期待してしまうから。

冷たいベッドの中で一人、貴方が帰ってくるのを切望してしまうから。





「はい、知っていますよ。が私を好きでいてくれていること。」


Lはそう言って、まだ涙の乾ききらない私の頬をそっと丁寧に優しく撫でた。
頬を這うLの手の上に私の手を乗せ、ゆっくりとお互いの手を絡ませあう。
そして私達は、繋いだ手でお互いの存在を確かめ合いながら、ただただ目の前の雨を見つめた。






「きっと通り雨ですね。」

「うん。」

「雨が上がったら、戻りましょうか。」

「……うん。」








待っていてと言われてしまった時には、ハウスを出ようと決めていた。

きっと私は、この気持ちに押しつぶされて負けてしまうから。








来月にでもハウスを出よう。

ボストンバック一つで、Lの噂なんて届かないような小さな村へ

もうLのことだけを考えなくていいように

もう如何しようもない寂しさで心が埋まらなくていいように。





だから今はどうか


雨が止むまで此の侭で


手を握った此の侭で






















此の時の私は、此の雨がずっと降り続けばいいのにと、都合の良い愚かな望みを抱いていた。

手を離したのは、私の癖に。







(似非エルさん。  070524)